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『君が代』に反対するのは自由だが、方法がおかしいと思う [教育]

ssh502 社説の読み方〜君が代訴訟最高裁判決編
 学校現場の日々のどんな教育活動をも差し置いて、チョー強力な話題となる約1時間の行事。それが卒業式。
 話題の中心は学校でも生徒でも保護者でも来賓でもなく、40秒弱の国歌斉唱。この40秒間の行動だけで処分までされてしまうのが日本のピョンヤン、東京都。
 1月16日に最高裁で、その東京都の処分に関する判決が出ました。内容はご存知の通り、戒告は妥当だが、減給や停職などの重い処分はやり過ぎ。
 この件については、珍しく日経クンまで社説展開してくれました。ssh的には大変ありがたい展開です。では社説の読み方と行きましょう。まずは朝日クン。
◆◆君が代判決―行き過ぎ処分に歯止め 卒業式や入学式のシーズンを前に、最高裁から注目すべき判決が言い渡された。 「式では日の丸に向かって立ち、君が代を歌うように」。そんな校長命令に従わなかった東京都の教職員への処分が、妥当かどうかが争われた裁判だ。 結論はこうだった。 規律や秩序を保つために、戒告処分はやむをえない。それをこえて減給や停職とするには、慎重な考慮が必要だ。式典を妨害したなどの事情がないのに、命令違反をくり返したというだけで、こうした重い処分を科すのは違法である――。 日の丸・君が代は戦前の軍国主義と深い関係があり、その評価は一人ひとりの歴史観や世界観に結びつく。 最高裁は、昨年の判決で「起立や斉唱を命じても、憲法が保障する思想・良心の自由に反しないが、間接的な制約となる面がある」と述べ、学校側に抑制的な対応を求めた。今回の判決はその延長線上にある。 私たちは、日の丸を掲げ、君が代を歌うことに反対しない。だが処分してまで強制するのは行きすぎだと唱えてきた。 その意味で、戒告が認められたことへの疑問は残るが、最高裁が減給・停職という重大な不利益処分に歯止めをかけたことは、大きな意義がある。 教育行政にかかわる人、なかでも橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会のメンバーは、判決をじっくり読んでほしい。 維新の会は大阪府と大阪市で「命令に2度違反で停職」「研修を受けたうえで3度目の違反をしたら免職」という条例の制定を打ち出していた。 違反に至った背景や個別の事情には目を向けず、機械的に処分を重くしていくもので、今回の判決の趣旨に照らして違法になるのは明らかだ。 さすがに橋下市長と松井一郎知事は見直す考えを示した。だがそれは、停職処分とする前にも研修の機会を設けるという案で、問題の本質を理解した対応とはとても言えない。 選挙で圧勝した2人には、民意の支持という自信があるのだろう。もちろん民意は大切だ。 しかし、精神の自由に関する問題を、多数派の意向や思惑で押しきってはならない。それは歴史の教訓であり、近代民主主義を支える精神である。 自分とは異なる意見の存在を受け止め、心の内にはむやみに踏み込まない。そうした寛容な土壌のうえに、しなやかで、実は力強い社会が生まれる。 判決の根底に流れるこの考えをしっかりと受け止めたい。◆◆
 朝日クンは一貫して、国旗国歌そのものは否定しないが、教育現場への強制は反対というスタンスです。これは教職員組合の主張と一致しています(日教組が国旗国歌を否定していると怒る人がいますけど、それは間違いです。彼らの主張は朝日クンとぴったり同じ)。
 ということで、朝日クンは減給・停職に歯止めをかけたことを高く評価しています。一方、戒告をOKとしたのは疑問が残ると。これは朝日クンのスタンスからすればごく自然なレスポンスですね。大阪の状況に触れているのも、タイミングからして当然でしょう。
 というわけで、ほとんど予想通りの社説です。
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科学と宗教の違いは? [科学]

金剛石.jpg

 科学教の信者になっていませんか?


 世の中には、科学的に正しいかどうかということが最も重要だと考える人がいます。価値判断の基準が科学的な正しさなのです。そういう方は、宗教や道徳的な価値判断を馬鹿にする傾向が強いのも困ったものです。
 私に言わせれば、宗教(神様)を崇拝しようが、科学を崇拝しようが、それ自体は本人の自由なのです。でも、その考え方を、私に押し付けないで下さいとなります…^^;

 科学と宗教は違うと、科学教の信者は信じています。でも、科学と宗教は、人間の営為の一部であるという点において、大した違いはないのです。

 俗世間で普通に暮らしていると、何かをするときに科学的に正しいかどうかなんて一々考えません。同様に、宗教的に許されるかどうかも余り考えないと思います。
 朝、顔を洗うとか、食事の後で歯を磨く人は多いと思います。こういう日常の行為を、一々科学的に正しいかどうかで判断するでしょうか? それとも宗教上の戒律に従って行うのでしょうか? 普通の人は、子どものころに親の躾によって、そうするのが習慣になっているだけの話だと思います。つまり、世間の常識に従っているだけの場合が多いのです。

 もちろん、日本には日本人だけで通用する世間の常識がありますし、アメリカにはアメリカ人だけに通用する世間の常識があるかも知れません。「郷に入っては郷に従え(人は住んでいる土地の風俗・習慣に従うのが処世の法である)」と、昔から言われているのは、ご存じの方が多いと思います。

 科学や宗教は、人間の風俗・習慣(営為)のごく一部でしかないのです。その一部に過ぎないものを崇拝し、他の風俗・習慣を馬鹿にするのは、科学教信者の悪い癖です。

 科学とは、「体系的であり、経験的に実証可能な知識」のことです。体系的(組織的。統一的。システマチック)な知識という点においては、宗教と科学はあまり違いがありません。科学と宗教の大きな違いは、経験的に実証可能かどうかという点にあるのです。
 神様が存在するかどうかは、経験的に証明することは不可能です。教祖が、神の啓示を受けたと主張し、他の信者にはそれがない場合、だからこそ教祖は偉いのだ。貴方も信仰をもっと深めなさいと言われてしまえばそれまでです。

 科学の場合、ある科学理論が正しいかどうかは、観測された事実に適合するかどうかで判断します。観測された事実ともっともよく適合する理論が一番真実に近いという評価を受けるのです。科学は、客観性と再現性という面を重視するので、宗教とは考え方が違うというのは事実です。
 ところが、観測技術が未発達な時代に、どんなに正しいと思われた科学理論も、観測技術が発達し、精密な観測データが得られるようになると、間違っていたという話になることは沢山あるのです。科学とは、いま現在の知見で判断すると、こう考えるのが一番妥当だというだけのモノなのです。そういう事実を見ると、「所詮、科学なんて解ったつもりの錯覚にすぎない」という考え方もあるのです。

 その典型が、天動説と地動説です。「朝、東から太陽が昇り、夕方、西に太陽が沈む」、これは世間の常識です。肉眼という観測手段しか持たない時代の人類から見れば、天動説は観測される事実にもっとも適合する理論だったのです。
 ところが、望遠鏡が発明され、月や惑星の動きを詳しく観測し、遠くの星の位置を詳しく調べていくうちに、地球は自転しながら太陽の周りを公転していると考えるのがもっとも妥当だということになりました。望遠鏡という観測技術の発達が、より精密な観測データを提供し、科学を進歩させたというわけです。
 これと似たようなことは、顕微鏡についても言えると思います。観測技術の進歩が、新たな観測データをもたらして、科学を進歩させてきたのです。

 では、いま現在の人類が、この宇宙のことをどこまで知悉しているのでしょうか?

 よく分らないと言うのが一番正直な答えではないかと私は思います。

 いま現在、どんなことがどこまでわかっているのかすら把握できません。あまりに膨大な観測データと、それをもとに提案された膨大な仮説があるのです。そのすべてを一人で把握できる人間はこの世にはいないと思います。
 そして、次々と新しい観測方法が発明され、既存の観測技術が改良され続けているのです。それらを使って、新たにどんな観測データが得られるか、そのすべてを予測するのは不可能なのです。

 科学と技術が進歩したら、今まで解らなかったことが解るようになると期待するのは当然だろうと思います。でも、それは、いま現在の科学ではまだよく解らないことが沢山あるし、天動説のように、その時点で、誰が考えても正しいと思われていることが、新たな観測手段が与えられたら、実は正しくなかったという場合があることを意味します。
 いま現在の人間から見ると迷信でしかないものも、その時点で観測された事実に基づいて考えると妥当だったのです。それが、科学という知識体系の本質ではないかと思います。

 科学的な正しさを唯一絶対の価値判断だと考える科学の崇拝者は、科学のこのような本質を知らない(あるいは忘れている)のだろうと思います。

 普通に社会で暮らしている人間にとっては、科学的に正しいかどうかとか、宗教上の戒律にあっているかどうかよりも、世間の常識(風俗・習慣)のほうが大切なのではないかと思います。

 そして一番大切なのは、「人間には間違ったことを言う自由がある」ということです。

 他人の意見を、いま現在の科学的な知識で判断すると間違っているという理由で非難し、発言を封じる権利は誰にもないのです。

 大陸移動説を提出したウェーゲナーに対し、その当時のアメリカ地質学会の大物の一人は、「大陸が安易に動くなどという考えが許されるならば、われわれの過去数十年の研究はどうなるのか?」といって反対したそうです。しかし、いま現在、プレートテクトニクスは科学的に正しいとされているのです。

 科学的な正しさなんて、それほど当てになるものではないのです。古い知識で考えると間違っていると思うことでも、新しい知識で考えると妥当だと考えることが科学の進歩なのです。そのためには、一見間違ったことでも発言する自由が必要なのです。

 科学教の信者は、自分の科学的な知識が絶対であり、他人の発言をよく吟味しないで、それは間違っていると決め付ける場合が多々あります(自分にもそういう傾向がないとは言えませんが…)。言論の自由がなければ、科学の進歩もあり得ませんから、お互いに気を付けたいものです。

 科学教の信者も、宗教の信者も、共産主義者、自由主義者、etc.、みんな自分の教義(信じていること)に反する意見には耳を貸さないという傾向が何故か共通しているのです。これは、何を信じていようが、人間本来の特性なのかも知れません。
 これを、『バカの壁』と称した人もいたような…

(by 心如)


パンが焼けました [暮らし]

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 今日は、カシューナッツ入りのチョコチップパンを焼いてみました。


【材料: 2斤分】
・水 280cc
・卵 2個
・強力粉 500グラム
・スキムミルク 大サジ2杯
・砂糖 大サジ3杯
・塩 小サジ1杯
・バター 20グラム
・インスタントコーヒー 大サジ2杯
・ドライイースト 6グラム

 上記の材料を、パンケースに入れて、ホームベーカリーの本体にセットし、メニュー6(早焼きパン)、サイズ…2斤、焼き色…普通、と設定して、スタートボタンを押しました。

 約20分経つと、具入れブザーが鳴りましたので、今回の具(チョコチップ…適量、カシューナッツ…適量)を投入して、焼き上がりを待ちました。

 小麦粉とドライイーストの量は前回と同じですが、卵と砂糖の量が増えていますし、インスタントコーヒーも入れたせいか、パン生地の膨らみ具合(発酵)が少し弱くなり、出来上がりのパンのサイズが少し小さ目に…^^;

 自分で味見して、まあまあの出来だと思ったので、2センチくらいの厚さに切ったものを次男の部屋に持って行きました。次男も、コーヒーの味とチョコチップの味がマッチして美味しかったとか… まあ、不味いなんていうはずもないけど。。。

 妻は実家に出かけてますので、戻ってきたら味見をしてもらおうと思います。

(by 心如)

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原発よりも国民がかわいそうだと思うが… [原発]

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http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110721/278419/?ST=rebuild
田原総一朗:「原発がかわいそうだ」と私が感じる理由
2011/07/22
田原総一朗(たはら・そういちろう) [BPnet]

 1974年、初の試験航行中に放射能漏れを起こした原子力船「むつ」は、母港である青森県むつ市の大湊港への帰港を猛反対された。私は35年前、そのときの取材をもとに『原子力戦争』(ちくま文庫で復刊)を執筆した。

 反対派も推進派も無茶苦茶な意見

 帰港の反対派は、もし大湊港で強い風に吹かれ「むつ」が転覆したら、青森は第二のヒロシマになると主張した。一方の推進派はこんなことを言った。「放射能は危険だと思っているが、そんなことはない。皆さん、体の調子が悪くなったらラジウム温泉に行くでしょう。そのラジウムから出ているのは放射能です。放射能が体に悪いなんていうのはデマです」
 こうした意見を聞き、私は反対派も推進派も無茶苦茶なことを言っていると感じた。結局、「むつ」は16年間も日本各地の港をさまようことになるわけだが、これでは「原子力」がかわいそうだ、と私は当時思った。
 そこで、出版されていた原子力関連の本を片っ端から買い集め、40冊ほど読んでみた。それぞれ反対派、推進派の立場から書かれていたが、翻訳本の原本はすべてアメリカで出版されたものだった。情報は孫引きの孫引きが多く、数字が間違っていたりする。
 それらを読んで「なんだ、自分の頭で考えていないじゃないか」と思ったものだ。私は「原子力とはいったい何か」という思いをさらに募らせ、自ら取材を重ねて『原子力戦争』を執筆したのである。

 推進派は原子力を愛しているか

 日本では今、脱原発ムードが広がっている。「原発がなければ福島第一原発のような大事故は起きなかった。だから、原発さえなくなればすっきりする」というもので、「脱原発」は今や国民的な潮流となっている。
 しかし、私は「それはちょっと違うのでは?」と感じることがある。原発は、もしなくしても使用済み核燃料の処分など非常に大変な問題が残っている。原発をなくせばすべてが解決するというものではない。
 一方、推進派はどうか。私は反原発の本も読んでいるが、このところ推進派に対してずいぶん取材を行っている。これまでに原子力委員会委員長、東京電力会長、東電の原子力担当の責任者など10数人に会って話を聞いた。そして取材を重ねるたびに感じるのは、「彼らは原子力というものに責任を持っているのだろうか」ということだ。
 やや極端な言い方かもしれないが、どうも彼ら推進派には原子力を愛している人がいないのではないか、と思うようになってきた。原発を推進していくうえで、一人ひとりが与えられた役割を果たしているだけにしか見えないのである。役割を果たすために、やむなく行動している。そう思えてくるのである。

 貞観地震の指摘でなぜ議論を重ねなかったのか

 たとえば、原発と津波の関係について。明治29年(1896年)、「明治三陸地震」によって大津波が発生したが、このときの経験をもとにすればよいと考えられていた。三陸沖には10メートル以上の津波が襲ったが、福島第一原発のある地域には3~4メートルの津波しか来なかった。だから、10メートルを超える大津波など想定していなかったのだ。
 しかし2009年、経済産業省の審議会で「869年の貞観地震による大津波」が指摘されていた。今からおよそ1200年前の平安時代に発生した地震である。もしこの指摘を受け入れ、今回の致命傷となった非常用発電ディーゼルを10メートル以上の高い場所に移して水没を防いでいれば、全電源喪失による大事故は起きなかったのである。
 なぜそうにしなかったのか。取材してみると、「実は、福島第一原発で10メートル以上の高さに上げると、日本にある全原発で同じ対策を取らなければいけない。そうなると、とても手間とコストがかかり大変なことになる」というのだ。
 貞観地震の大津波を指摘されていながらも、なぜもっと議論をしなかったのか。問題を主体的にとらえ、徹底的に議論する姿勢が欠けていたように思う。

 重要なことは誰も決断しない

 また、使用済み核燃料の問題もある。仮に全原発を停止しても、54基の原発からおびただしい量の使用済み核燃料が発生する。使用済み核燃料は有用なウランやプルトニウムを含む非常に危険なもので、最終処理を施さなくてはならない。高レベル放射性廃棄物と溶かしたガラスを混ぜ、ステンレス容器に入れて固める。このガラス固化体を数十年かけて冷却した後、地下数百メートルに埋めることになっている。
 このプロセスの問題の一つは、ガラス固化体を作る国産技術が確立されていないことだ。再処理事業の多くに海外技術を導入しているにもかかわらず、推進派は「ここだけは国産化したい」という悲願を持っている。いくら悲願であっても、国産化できなければ仕方がない。「すでに実用化されているフランスの技術を導入する」といったような決断をできる人がどうもいないのである。
 核燃料サイクルとともに開発を進めてきたのが、「夢の原発」と呼ばれた高速増殖炉「もんじゅ」である。1995年にナトリウム漏れ・火災事故を起こして停止し、2010年5月に運転を再開したものの、原子炉容器内に炉内中継装置(重さ3.3トン)が落下して再び停止したままだ(炉内中継装置は今年6月に引き上げられた)。毎年相当なお金をつぎ込んでいるのに、計画をやめようと誰も決断しない。
 こうしてみると、なすべき決断が常に行われていないのである。私は『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか』という本を書いたが、あの戦争でも日本は誰も責任を持たず、総理大臣も誰もが流れの中でただ役割を果たしただけだった。これは今の原発問題にも共通するように思えてならない。

 「自然エネルギー20%」はとても難しい

 私は19日、岩手県八幡平市の松川地熱発電所を写真週刊誌「FLASH」の取材で訪れた。日本の再生可能エネルギーで最も有望と言われる地熱発電を自分の目で確かめておきたかったからだ。
 松川地熱発電所の発電出力は2万3500kW。日本の地熱発電はすべて合計すると約54万キロワットになる。その総出力が将来どれくらいまで伸びるかというと、最大で500万キロワットだという。脱原発の人たちが今、日本の総電力の2~3割を地熱発電でまかなえると言っているが、とてもそうはいかないのである。
 松川地熱発電所の人に聞いてみると、「太陽光発電、風力発電、地熱発電などすべての再生可能エネルギーを合わせても、将来日本で必要な電力の10%に届けばよいほうだ」と言う。
 日本の電力は66%が石油、石炭、天然ガスによる火力であり、24%が原子力、残り10%のほとんどが水力である。地熱、太陽光、風力、バイオマスといった再生可能エネルギーは全体の2%ほどしかない(2008年)。
 菅直人首相は5月にフランス・ドービルで開かれた主要8カ国首脳会議で、日本の電力について「2020年代の早い時期に再生可能エネルギーの割合を20%を超える水準にする」と表明したが、どうやって引き上げるのか。その根拠は見当たらないのである。

 日本のエネルギー問題を本気で考えよ

 脱原発はムードが先行し、ある意味では無責任とも言えるし、原発推進派は実は責任を持たず、流れの中で役割を分担しているだけである。これが原発をめぐる現状であり、私は35年前に「原子力」がかわいそうだと感じたが、今もそのときと同じ気持ちでいる。
 おそらく日本では、原発の新規建設は難しいだろう。今後、日本のエネルギー問題をどうするのか、本気で考えなくてはならない。
 現在の生産量を前提にすれば、石油は40年後に枯渇し、天然ガスなど他の資源も100年後にはなくなるという意見もある(採算が取れると判断した埋蔵量ベース)。もしそうなれば自然エネルギーに頼らざるを得ない日が必ずやってくる。
 民主党の原発担当者や枝野幸男官房長官に、「日本のエネルギーを本気で考える超党派の委員会をつくるべきだ」と盛んに言っているのだが、どうもその気はまったくなさそうだ。一種の無責任体制の中で、原発問題だけが取り上げられているように思えて仕方ない。

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脱原発を実現するために、何が必要なのか [原発]

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http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120118/296616/?ST=rebuild
田原総一朗:「脱原発」を唱えるだけの風潮は危ない
2012/01/19
田原総一朗(たはら・そういちろう) [BPnet]

 2011年3月11日の東日本大震災と津波で起きた東京電力福島第一原子力発電所事故は深刻な事態になっている。科学技術の進歩や近代化に対して大きな疑問を投げかけた事故とも言える。
 「原発はとんでもない代物だ」と報道するメディアの姿勢は一種のファッションのようだが、果たしてそれでいいのだろうか。

 「脱原発」と言っても、原発問題は片付かない

 週刊誌の編集者によると、最近は「原発特集をすると部数が落ちる」という。それは原発批判がファッションになり、編集者が原発批判さえしていればよいという誌面づくりに甘えてきたせいではないか。
 多くの週刊誌は、「原発事故はこんなに深刻だ」「放射能はこんなに怖い」と書き、これでもかとばかりに原発の特集や記事を連発してきた。読者、国民が求めているのは「では、どうしたらいいのか」という対策なのに、それに取り組む企画はほとんどない。今でも、原発・放射能の危険性をあおる記事ばかりが目立つ。
 私は最近、『日本人は原発とどうつきあうべきか 新・原子力戦争』(PHP研究所)を出版した。この本では「脱原発と唱えるだけでは無責任だ」ということを書いた。
 「脱原発」とさえ言えば、それで問題は片付くと思われている節がある。しかし、「脱原発」と言っても、原発問題は少しも解決できないのだ。

 使用済み核燃料の再処理問題などはどうするのか

 日本には54基の原子炉があるが、すべての原発で使用済み核燃料が大量に一時貯蔵されている。使用済み核燃料は、いわば放射能の塊である。これをどうするのか。その問題はまったく片付いていない。
 使用済み核燃料にはまだ使えるウランやプルトニウムが残っているため、再処理工場で再び燃料として取り出せば使用できる。この再処理を行うまでの間、安全に貯蔵しておく施設を中間貯蔵施設と呼び、青森県・六ヶ所村に建設を進めている。
 再処理を行って燃料として使えるウランやプルトニウムを回収した後には、高い放射性レベルの廃液が残る。これにガラスを混ぜて固め、ステンレス容器で密閉して厳重に管理する。このガラス固化体を作る技術を国産化しようとしているが、まだ完全には確立されていない。
 また、仮にガラス固化体の技術が確立されても、それを封入したスチール容器をどこへ処分するのか。30~50年かけて冷却した後、300メートル以上の地下に最終処分するとしているが、その処分場所は見当がついていない。

 日本が目指した「核燃料サイクル」と「夢の原子炉」

 そもそも原子力発電が盛んになったのは1973年以降のことだ。きっかけは73年に起きたオイルショックだ。当時日本のエネルギーの中心は石油だったが、オイルショックで原油価格が急騰し、そのうえ産油国である中東の国々がイスラエルの味方をしている国には原油を売らないと言ったためだ。
 原油を100%外国に頼っている日本はその輸入を止められたらどうにもならない。そこで原子力発電を増やしていくことにしたのである。原子力発電の燃料であるウランも輸入だが、ウランは長く保管できるので輸入に伴うリスクは原油に比べて少ない。
 石油の埋蔵量が50年と言われるように、ウランの埋蔵量も80~90年とされる。ウランもやがてはなくなるのだ。それなのに、なぜ日本は原子力発電にシフトしたか。
 その理由は、「核燃料サイクル」と「高速増殖炉」の開発にある。経済産業省(旧通産省)や東京電力はじめ電力会社は、これらを実現して原子力発電を日本のエネルギー政策の中心にしていこうと考えた。
 高速増殖炉では、高速の中性子をプルトニウムにぶつけて核分裂を起こし、そこから生じた中性子をプルトニウムとウランにそれぞれぶつける。すると、ウランはプルトニウムに生まれ変わり、プルトニウムが「増殖」して連鎖反応を起こす仕組みになっている。プルトニウムは減らずに増えるのだから、高速増殖炉はまさに「夢の原子炉」と呼ばれた。日本は国家プロジェクトとして高速増殖炉「もんじゅ」の開発を始めた。

 高速増殖炉がダメならプルサーマル方式

 ところが、もんじゅの開発には問題が山積していた。もんじゅは1995年に冷却材として使用しているナトリウム漏えいによる火災事故を起こし、その後も炉内中継装置落下事故などにより稼動できない状態が今も続いている。
 学者の間では「もんじゅはダメだろう」という声が強まり、2012年度の政府予算案ではもんじゅの予算が削減された。
 しかしその一方で、経産省や細野豪志原発事故担当大臣は、「高速増殖炉はやはり研究開発を続けなくてはならないだろう」と言っている。もんじゅはダメだが、別の高速増殖炉の開発は必要だというのである。
 ただ高速増殖炉が難しければ、ブルサーマル方式を推進したいと経産省や東電は考えている。プルサーマルとは、ウランとプルトニウムによる混合酸化物燃料(MOX燃料)を利用するものだ。つまり、再処理したプルトニウムを通常の原子炉でもう一度燃料として使う方式で、高速増殖炉が実現できなくても、その代わりを一部果たすことができるというわけだ。
 結局、問題は何かというと、高速増殖炉が今後実用化されるかどうかだ。それによって原子力発電の将来は大きく変わってくる。

 今夏までに見直すエネルギー政策の行方は?

 「脱原発」になれば、高速増殖炉も核燃料サイクルも放り出されてしまい、使用済み核燃料の最終処分も未解決のままになってしまう恐れがある。
 脱原発派は高速増殖炉を否定するが、しかし科学技術というものは「夢」がないと進歩しない。経済学者のシュンペーターが言うように、イノベーション(革新)がなければ経済は発展しない。脱原発の一番の問題は、「夢」を全部消してしまうことだ。
 政府・民主党は今夏までにエネルギー政策の見直しを行う。枝野幸男経産大臣、細野豪志原発担当大臣、古川元久国家戦略担当大臣、仙谷由人政調会長代行が中心となって作業を進める。
 そこで検討されているシナリオはこうだ。10年後の日本のエネルギー構成は、天然ガスを中心とした化石燃料40%、原子力20%、自然エネルギー20%、そして省エネ技術で20%をカバーとする――。
 去年の夏に電力使用制限令にもとづいて行われた節電が東電管内で18%だったが、それを上回る20%の節電を省エネ技術によって全国的に実現させるという。そして自然エネルギーについては、現在の10%(そのうち水力が大部分を占める)から20%にするため、太陽光と風力、地熱のいずれも現在の10数倍に高めなければならないのである。

 脱原発の「イズム」の段階はもう終った

 こうした難しい現実を前にして、「原発は危ない」とばかり繰り返しているのは一種のファッションに過ぎない。今もっとも考えるべき問題は「今後のエネルギーをどうするか」である。
 新聞も雑誌も「脱原発というファッション」から一歩も踏み出さずにいる。これでは、読者は記事を読むはずがない。
 脱原発は一種の「イズム」である。だが、その段階は終わった。現実にどう対応していくのか。それをまともに考えなくてはならない。
 今の日本では、現実にどうするかを考えることがタブー視される。原発について現実的に考えると、「原発推進派」と言われ、「政府に癒着した考えだ」とされる空気がある。
 しかし、それは違う。原発が抱える現実の問題を今こそ考えるときである。

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破綻しなければよいという話ではないと思うが… [政治]

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 こういう報道に対して、「日本の国債は、その大半が国内で消化されているので問題がない」と言い出すおバカさんが必ず居ます。問題なのは、財政が破綻するかどうかだけではないということが理解できないのですから、このような方たちと議論しても時間の無駄のようです。


 過去記事に繰り返し書いていますが、今の政治家や役人は、国民の資産を食い潰した確信犯なのです。返す気のない借金がいくらあろうと、彼らにとって痛くも痒くもないというのは事実だろうと、私も思います。
 だからと言って、自分たちの金融資産を食い潰した政治家や役人の肩を持つなんて馬鹿げています。そんな簡単な話も理解できないなんて… 国民が、政治家や役人に舐められるのも仕方がないと言わざるを得ません。

 返す気がない借金がいくらあろうとそれ自体はどうでも良いというのは容易に解ると思います。無制限に貸してくれる相手がいて、返済する気もないし、返済する必要もないのであれば、借金で贅沢な暮らしをするのは本当に楽しいと思います(日本の政府が、やっているのはこれです)。
 問題なのは、そんな都合のよい話が、いつまでも続くはずがないということです。

 1,085兆円という膨大な金額では実感が湧きませんので、国民一人当たりで計算すると約850万円になるというのは事実です。しかし、今すぐ全額返済しないので、そんな計算をしてもあまり意味がないというのも事実です。

 問題なのは、借金には利払いがあるということを忘れている人が多い事です。いくら長期金利が低い水準で安定しているといっても、年間に1%程度の利払いが必要なのです。1,085兆円の1%は、10兆8500億円になります。膨大な借金さえなければ、毎年、10兆円以上の国家予算が、借金の利払い以外のことに使えるという点を見落としている人が多いのです。
 東北の復興費に20~30兆円の予算が必要だとしても、借金の利払いさえなければ、2~3年で返済できる額なのです。同じ30兆円という予算を、借金の利払いに使うのと、東北の復興に使うのなら、どちらが良いかなんて議論するまでもないと思います。

 それと、これだけの借金を抱えていると、景気が回復し長期金利が3%になれば、毎年の利払いが32兆5500億円になります。景気が良くなれば、税収の増加がいくらか期待できます。でも、その税収の伸びを上回る利払いの増加が予測されるのです。
 これが、日本の景気回復に、政治家や役人が積極的に取り組まない理由だと思っています。下手に景気が回復し、民間の資金需要が増えると、これまでのような低い利率で国債が売れなくなり、財政破綻に陥る可能性が高いということは、少し賢い中学生でも解ります。
 つまり、膨大な政府の借金が、日本の景気回復の足枷となっているのです。

 以上のような問題を無視して、日本の国債は内国債なので何の問題もないと言っっているおバカさん、貴方は政治家や役人、御用学者に騙されているのです。
 莫大な借金を、子どもや孫に押し付けるという無責任なやり方も許し難い話です。日本の景気が一向に良くならないのは、政府の莫大な借金が足枷になっているという面もあるのです。そういうことも、よく考えた上で、それでも、「日本の国債は何の問題もない」と言うとしたら、政治家や役人から見たら、鴨が葱を背負っているようなものなのです。

 「真実を見るには勇気が要る」と言いますが…

 現実を在りの儘に見ることが、真実を見るということではないかと私は思います。

(by 心如)


「過ちて改めざる是を過ちと謂う」かな… [原発]

科学の目、科学のこころ (岩波新書)

科学の目、科学のこころ (岩波新書)

  • 作者: 長谷川 眞理子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1999/07/19
  • メディア: 新書

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 コンコルドの誤り


 まだ乗ったことはないが、超音速機コンコルドはニューヨークやロンドンの空港でよく見かける。首を曲げたワシのような姿で、意外に小さいのが印象的だ。先日、これが空を飛んでいるところをロンドンの上空で見たが、なんとなく、おもちゃの紙飛行機かタコのようだった。このコンコルドは、イギリスとフランスの共同開発の産物だが、結局のところ採算が合わないことがわかっているので、もうこれ以上は製造されない。
 コンコルド開発にまつわるこのエピソードをもとに、行動生態学の分野で「コンコルドの誤り」として知られている考え方がある。いま、一羽の雄の鳥が、ある雌に求愛しているとしよう。これまでに雄は、ずいぶん長い時間を費やし、たくさん餌をプレゼントに持ってきたが、雌は一向に気に入ってくれない。雄は、このまま求愛を続けるべきか、やめるべきか? このような状況で、動物たちがどのように行動するよう進化してきたかを考えるとき、一昔前には、雄はもうこの雌に対して大量の投資をしてしまったので、いまさらやめると損失が非常に大きくなるから求愛をやめないだろう、という議論があった。ところが、これは理論的に誤りなのである。
 コンコルドは、開発の最中に、たとえそれができ上がったとしても採算の取れないしろものであることが判明してしまった。つまり、これ以上努力を続けて作り上げたとしても、しょせん、それは使いものにならない。ところが、英仏両政府は、これまでにすでに大量の投資をしてしまったのだから、いまさらやめるとそれが無駄になるという理屈で開発を続行した。その結果は、やはり、使いものにならないのである。使いものにならない以上、これまでの投資にかかわらず、そんなものはやめるべきだったのだ。
 このように、過去における投資の大きさこそが将来の行動を決めると考えることを、コンコルドの誤りと呼ぶ。求愛行動だけでなく、なわばりの確保や子育てなどのさまざまな状況において、どこでやめるべきかという「意志決定」が必要となるだろう。そのとき、過去にどれだけ投資をしたかに重点をおき、それを目安に将来の行動が決まるとするのは誤りなのである。さきほどの雄がむなしく求愛を続けている雌のとなりに、その雄はまだ一度も求愛していないが、求愛されれば十分に応える気のある雌がいたとしよう。もしそうならば、雄は、過去の投資の量にかかわらず、さっさとそちらの雌に乗り換えるだろう。将来の行動に関する意志決定は、過去の投資の大きさではなく、将来の見通しと現在のオプションによらねばならない。(こう書いても、雄の鳥がそのように意識して思考していることを意味してはいない。そのような行動に導く一連の生理的過程が進化してきたという意味であるので、念のため。)
 したがって、雄が相変らず求愛をやめないとしたら、それは、過去の投資の大きさのせいであると論じるのは誤りで、現在ほかにオプションがないのかもしれないと考えなければならない。コンコルドの誤りに陥ると、動物の行動の進化の道筋をたどるとき、大きな論理的誤りにはまってしまうのである。
 コンコルドの誤りは、人間の活動にしばしばみられる。元祖のコンコルドもそうだが、作戦自体が誤っているのに、これまでにその闘いで何人もの兵隊が死んだから、その死を無駄にすることはできないといって作戦を続行するのもその例である。過去に何人が犠牲になったかにかかわらず、将来性がないとわかった作戦はすぐにやめるべきである。
 考えてみると、私たち人間の思考は、しばしばコンコルドの誤りに陥りがちなのではないだろうか? 1996年6月に亡くなったトーマス・クーンが、すでに古典となった『科学革命の構造』の中で、科学者にとってパラダイムの転換がいかにむずかしいものであるかを指摘していた。旧パラダイムに慣れ親しんで研究してきた学者たちは、それがすでに誤りであるとこを示されても、なかなか旧パラダイムを捨てようとしない。それはまさに、現在の手持ちの仮説の中でどれが一番将来性のありそうな理論であるかという検討に基づくのではなく、これまで自分が大量の投資を行なってきた理論を捨てたくないという、コンコルドの誤りであるように思われる。
 大陸移動説を提出したウェーゲナーに対し、その当時のアメリカ地質学会の大物の一人は、「大陸が安易に動くなどという考えが許されるならば、われわれの過去数十年の研究はどうなるのか?」といって反対したというが、これなどは、過去の投資に固執する考えを如実に表した言葉と言えるだろう。
 ところで、コンコルドの誤りは、人間が動物の行動を解釈するときに犯す過ちであって、動物自体がコンコルドの誤りを犯しているのではない。コンコルドの誤りは誤りなのであって、誤りであるような行動は進化しないはずだからである。ではなぜ人間の思考はコンコルドの誤りを犯しがちなのだろうか? この誤りには、何か人間の思考形態に深くかかわるものがあるように思われる。
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タグ:原発 核燃料

2030年代が危険だという予測が…!? [地震]

「地震の目」で予知する次の大地震

「地震の目」で予知する次の大地震

  • 作者: 木村 政昭
  • 出版社/メーカー: マガジンランド
  • 発売日: 2010/10/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

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■今後は三陸沖を警戒すべき


 そして私が今後、もっとも気をつけるべきだと考えているのが、三陸沖の一帯だ。歴史的に見て、このあたりを震源とする大地震はたびたび発生している。周辺のプレート境界の空白域と連動して巨大地震になることもあり、そのたびに大津波が沿岸地帯を襲った。
 前回、ここで巨大地震が発生したのは1933年のことだった。三陸沖の範囲ということでは、2005年にもM7.1の三陸地震が発生しているが、従来の三陸地震の規模に比べると小さい。そのため、プレート境界のひずみはまだまだ溜まっているのではないか。こうしたプレート境界型の巨大地震は100年程度の周期性があると考えられる。前回の地震から100年たつ2030年代ごろにはまた危険性が高まってくると思えるので、今後、詳しく観測していかなくてはならないだろう。
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パンが焼けました [雑感]

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 長男が購入したホームベーカリー(AucSale SHB-12W)が、何故か我が家にあります ^^;

 材料を入れて、メニューを選択し、スタートボタンを押せば、後は焼き上がるのを待つだけなので、手軽に焼きたてのパンを食べることが出来ます。

 今日は、干しブドウとクルミを入れた、「クルミ入りレーズンパン」を焼いてみました。

【材料: 2斤分】
・水 300cc
・卵 1個
・強力粉 500グラム
・スキムミルク 大サジ2杯
・バター 20グラム
・砂糖 大サジ2杯
・塩 小サジ1杯
・ドライイースト 6グラム

 上記の材料をパンケースに入れて本体に取り付け、メニュー6(早焼きパン)、サイズ…2斤、焼き色…ふつう、と設定してスタートボタンを押します。
 「こね」と「ねかし」の工程がスタートし、約20分くらいすると、具入れブザーが鳴りますので、好みで具を入れます(今回は、クルミ入りレーズンパンなので、・クルミ 適量、・干しブドウ 適量)。

 メニュー6(早焼きパン)だと3時間弱でパンが完成します。焼きたてのパンは香ばしくて、手軽で安価ですし、三時のおやつに最適ですね。

(by 心如)

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環境に影響が無いと言うのは本当か? [環境]

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 サラヤの化学工場で塩化ビニル製のパイプが破損し、約10トンの家庭用洗剤が大和川に流れ込んだそうです。一時的に水面が真っ白な泡で覆いつくされたとのことですが(最長で約4キロも広がっていたとのこと)、洗剤に有害物質は使われておらず、環境への影響はないとみられ、府の調査でも水質に問題は出ていないと報道されています。

 家庭用洗剤というのが、食器用の洗剤であれば、有毒な物質が使われていないのは当然だろうと思いますが、洗剤の種類までは明らかではありません。いくら、有毒な物質は含まれてないと言っても、洗剤が一度に10トンも川に流れ込んだら、環境への影響がないと本当に言えるのかな? と少し疑ってしまいます。

(by 心如)


タグ:洗剤 環境
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